▼ ゆる〜いご挨拶│金水 敏委員長
今日の舞台装置は大阪特有の「純喫茶」を模しています。スタバのようなおしゃれなカフェとは全く違う。大阪のおっちゃんは、朝「おはよう!」と言ったら、まず「コーヒ、飲みに行こか」と言って、こういう純喫茶で朝からうじゃうじゃと過ごす。用事があってもなくても、こういうところで「ゆる〜い時間」を過ごすのが大阪の商売人の習慣。そんな中からビジネスチャンスが見つかるということもある。で、今日はそんな「ゆる〜い時間」を共有していただければいいと。結論が出ないかもしれないけど、ゆっくり楽しんでいただければと思います。
▼ 司会│木ノ下智恵子
トークセッションとはいえ、このプロジェクトが何なのか、実はゲストの方々もわかってらっしゃらない部分がある(笑)。今回、4名のゲストをお招きした一つのテーマとしては、関西や大阪生まれの方や、関西で仕事されているという経緯がありながら、日本の中心の東京や世界の各地で、それぞれの分野で活躍していらっしゃる。その中で大阪のDNAを色濃く持たれている方々です。だからといって、大阪を擁護したりとか、批判したりではない。「大阪の」が主語ではなく、「私の」という視点から、特にクリエイティブに関する仕事、例えば、ファッション、デザイン、アート、映像デザイン、お笑いに関すること、それぞれ専門的なお話も含めつつ、「今、何が自分にとって面白いのか」というDNAの中にきっと大阪が含まれるだろうという希望的観測の上に4名の方を選ばせていただきました。で、もちろん訪れたことのあるなしや、イメージの中で大阪を語ることもあると思いますが、特に「面白い」ということがお笑いに限らずあると思うのです。私が専門としているアートとかプロジェクト活動の中で「この作品面白いねー」とか、いわゆる「オモロイ」ということが、美しいあるいはカッコイイという表現の中で使う言葉に含まれていたりします。今日は、そういうオモロイ話を2〜3時間かけて、会場の皆さんも含めて展開していきたいと思います。これはプロジェクト始まりの「キック・オフ・ミーティング」です。
▼ 「毒」をもったパワー│田中杏子
まず最初に標準語で仕事の話します。後は大阪弁で。(笑)。大阪に生まれ育って18年。その後、イタリア・ミラノに渡り、6年間ファッションの勉強をしてました。それから、ずっとファッションの仕事をし、『Numéro TOKYO』という雑誌を立ち上げました。「何で東京なん?」っていうことも結構聞かれるんですけど、実は『Numéro OSAKA』とか『Numéro KYOTO』とか『Numéro 何とか』を出せるようにと思っています。「Tokyo」というアイコニック(iconic)な言葉で、象徴的に日本を紹介したいと思った。ちょっとおしゃれなファッション雑誌という位置づけです。今は編集長の立場で仕事していますが、もともとはスタイリストとして『ヴォーグ日本』に入った。その後、編集者としての仕事もどんどん増えてNuméroに至るなんですけどね。実は今年の5月末くらいに『Numéro West』っていうのを出そうと編集会議で盛り上がっていたときに、木ノ下さんからこのお話をいただき、やっぱ大阪やなって思った。うちの編集部にも関西人が多いんです。そもそも私たちがなぜ『Numéro West』をやっていこうと思ってるかというと、なんか面白いなとかすごいなとか思う人に出身地を聞くと関西の人が多いということに気づいたからです。世界に羽ばたいてる人の中にもすごく多い。私がミラノにいるときにも、大阪の人にすごく出会ったんです。やはり何かこうエネルギーがすごくあるのかなと。東京に出てきてもずっと大阪弁で通している人もいる。エネルギーを世界に向けて発信している、「大阪魂」というか「ウエスト魂」。京都もそうなんですが、そういったところをきっちりと形にして、日本全国の人に自慢したいなと、自分の故郷をね。それが発端で、Numéro Westをやろうという話になった。いま金策を考えていて、みなさまにもお世話になりたいなと(笑)、いろいろとね。そんなところから、ここに参加させてもらえていることを光栄に思っています。『Numéro TOKYO』は毒抜きされたモード誌はもういらないというのをコンセプトに掲げている。毒を盛らないと面白くないなと。毒っていうのはないとだめなんですよ。毒を抜かれてしまうと、面白くなくなってしまう。そういうファッション誌が多いところから、私たちは、毒は抜きませんというのをコンセプトにしている。ばっちりでしょ? 今日のコンセプトに。大阪はたぶん、すごい毒を持っている人が多いので、だからエネルギーを持っている人が多いのかなと。そういうところも踏まえて、今日はお話に参加させていただきたいと思います。
▼ 「ユニット」のパワー│服部滋樹
大阪にいらっしゃったことがない方に、一応grafの本拠地がどうなっているのかを説明しようと思います。1998年に創立メンバー6名が出会いました。僕が「少年探偵団みたいなんやりたいねん」って言うて集まったのがメンバーです。ちょうどバブル崩壊の寸前で、若者たちでこの社会をどう生きていくかを考えたときに、企業も経済の仕組みも信用できひんと。となると自分たちの表現をどこで出そうかと、やっぱりユニットでやっていくしかあらへんと。で、お金も一人30万円ずつの6名で180万円貯めて、モノづくりをはじめました。メンバーがプロダクトのデザイナーと、映像をやっている作家と、大工さんとシェフ、家具職人、で僕がデザインの監修をしているんですけど。その当時、アーティストユニットや建築家ユニットっていうのは結構あった。でも僕らが変わっていたのは、カテゴリに収まったメンバー構成ではなく、まさしく少年探偵団のような図体のでかいやつが特攻隊長になったり、分厚いめがねをかけたやつが「小林くん」であったり、それぞれのスキルが生きるような集団を作りたいと思ったのがきっかけです。で、僕らの本拠地は大阪の「中之島」にあります。中之島と言うのは大体大阪の繁華街キタとミナミの中間にある島です。水都大阪というイベントが今年ある。ここに来て8年になるんですけど、中之島にいてよかったなと。これからどんどん広がるエリアです。8年前に5階建てのビルを借りて、それぞれのフロアでそれぞれのメンバーが活動しています。隣にデザインルームがあって、その向こうに工場がある。だから作るところから、伝えていく場所、視覚・作る・伝えるということを全部やっている場所です。
5階建てのビルは1階がティーサロンで情報発信の場。テイスト・オブ・フォークロアというテーマを持ってやっている。それは直訳すると「民族を食らう」ということです。自分たちでモノを作っているので、必然的に生まれてくるモノの生まれ方の仕組みを検証しながらやっていこうというのをテーマに、地域とか地方とかフードとか、民族とか、そのモノの生まれ方を検証していくのにいい例がたくさんあるので、そういうのを検証しようという場所です。3階にショールームがあって、ここではモノづくりをしたものを販売したりとか、いろんな民芸品、工芸品とか、地方・地域で作られているもの、世界で出会ったアーティストやクリエーターのひとたちの商品や、世界の国々で作られている民芸品・工芸品も扱いながら、やっているところです。で、5階のちょうど真ん中に奈良美智さんと出会ったことで作ることになった「おうち」があるんですが、これが私たちのギャラリースペースになっています。いろんなアーティスト、クリエイターの人たちがいるスペースで、オープン・スペースです。
僕らがやっている仕事をひとつずつちょっとだけ紹介します。これは代官山にある、「Nenet」というブランドです。イッセイミヤケさんの最後の弟子と言われる高島一精(タカシマ・カズアキ)さんのショップのデザインです。都築響一さんって皆さんご存知ですか?3月31日に大阪でのイベントに出演していただきますが、編集者でアーティストです。彼と一緒に、恵比寿に「X+Y」という歌謡曲バーを作った。まさしくいい時代の日本の、「歌謡曲が流れるバー」です。それだけで笑える話なんですけど(笑)、年がばれるって話ですね。関東圏の仕事を少しだけ説明すると、横浜美術館でのVI(ビジュアル・アイデンティティ)をやらせてもらった。今日一緒に来ている横山道雄がフラッグを作ったりしていました。そういうデザインの仕事もやりつつ、アートの仕事もやっている。デザインとアートを行き来することとか、日常と非日常を行き来することによって、それぞれの暮らしそれぞれの人々の視点を変えることとかを考えています。草間弥生さんとのコラボレート仕事もある。草間弥生さんは60年代にファッションとアートを融合させて日常に新しい視点を与えるということをおっしゃっていたんですが、僕らもすごく尊敬するアーティストです。ファブリック・デザインを彼女にしてもらって、ファブリックをメーター売りしていたんですけど、若い女の子が1m、2mと買ってくれて、クッションカバーになったりスカートを作ってくれたりと、そういうことによって本来アート作品だったものがそれぞれの日常に落とし込まれていくという格好です。
ご存知の奈良美智さんとやった、1発目のS.M.L展というものです。奈良さんと出会ったおかげで、世界一周したことになった。これは大阪市の仕事なんですが会議用の椅子とテーブルをデザインしてくれとgrafに依頼があった。普通にやってもしゃあないやろってことで、難しい会議が面白くなるというコンセプトでやらせてもらったんです。日常サイズの1.8倍サイズのテーブルと椅子です。で、僕らも公開会議をやったんですね。で、これは難しい議題をテーブルに置いて会議をやってみたんですけど(会場:笑)、当然できるわけもなく(笑)、足ぶらぶらする大人が子どもになるサイズです。単にデザインだけとかアートの作品だけを作ってということではなくて、いろんな方向、いろんな表現でモノづくりをしている集団です。
大阪の話なんですけど、こういう椅子とテーブルを作らせてくれたんです。地域によっては出る杭は打たれるっていう事もある、でもあの大阪のおっちゃんたちが若かった11年前の私たちを「オモロイやんけ」と背中を押してくれて、こういうステージにも立たせていただけるようになったっていうのも、ありがたい話です。
▼ 「未来都市の廃墟?!」
ヤノベです。美術作家ですが服部さんのスタイリッシュな作品にくらべ、私はめちゃくちゃコテコテ大阪です。で、紹介するのが恥ずかしいです(笑)。大阪生まれの大阪育ちで今も大阪に住んでいる大阪の人です。作品も「大型機械ショップ作品」といいます。美術作品を作っているんですが、大阪で育っている影響がすごくあります。というのは僕、1965年生まれです。ご存知のとおり、1970年が「大阪万博」でした。当時5歳だったのですが、連れて行ってもらえなくて、万博当時の記憶はない。6歳のときに万博跡地の近くに引っ越してきて、その頃はもちろん万博は終わっていた。取り壊し現場の本当に「未来都市工業の廃墟」の様子の万博の印象しかなかった。その印象が、所属作品で、自分の身を守るための創作が機械彫刻になったんですけど、そういうことをやっていました。2003年には大阪万博跡地にあった国立国際美術館で展覧会を開いたりと、割と大阪をベースに大阪になじみ深い作品を作ってます。そのときの万博で開催した映像が「メガロマニア」です。
メガロマニアとは「誇大妄想狂」という意味の精神病医学用語。まさに誇大妄想の発見、つまり万博の未来の廃墟を見て、自分の頭の中に作った妄想都市を、作り続けてきた作品を並べることで、万博跡地の美術館で実現したんです。その美術館は僕の展覧会のあと、老朽化で取り壊され移転することになって、また廃墟になってしまった(笑)。と同時に、最後の個展ということで、自分の全てを出し尽くして、アトムスーツという、今映像の中で着ていたスーツなんだけど、チェルノブイリの時のね。それを二度と着ないと宣言して「もう俺は作品を何もつくるものがなくなってしまった」とね。僕のイマジネーション自体を廃墟にしてしまった記念すべき展覧会です(笑)。つまりは背水の陣なんです。この大阪で俺は討ち死ぬぞみたいなね、太陽の塔は乗っ取るは、エキスポタワーは壊すわで、心の中に廃墟を作ったんです。で、そこに降り立ってくる新しいイマジネーションがあるんです。
- ▼ 掛け合い漫才「なにわのトらやん、誕生秘話」
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http://www.roppongiartnight.com/interview/index.html
ヤノベ:そこに降臨してきたのが何だったかというと「なにわのトらやん」です。ここの会場の人にだけに「トらやん」の秘密を話しますけど、実は僕が作った作品じゃないんですよ(会場爆笑)。
倉 本:誰が作ったん?
ヤノベ:実は「矢延正信」という僕のお父さん。父親はまじめなサラリーマンで、僕が美術大学に進むと言ったら、「そんなもんお前、死んでから有名になってどないすんねん。カスミ食って、生きていくんか、岡本太郎みたいになるんか」と。常に戦い続けていた親父がいたんですよ。ケチでまじめで、その親父をいかに説得するかが、僕のヤング時代の課題だったんですけどね。(会場爆笑)何がおかしいんですか。
倉 本:いやおかしいでしょ。語り口がおかしいでしょ。
ヤノベ:それでね、親父が定年退職してから頭がおかしくなりだした。
倉 本:おう、本格的に。
ヤノベ:それまではまじめな親父で「人に迷惑かけるな、まじめに生きろ」とか言ってた。ある日万博の近くの実家に帰ったとき、そのとき僕は結婚して子供もできて外で暮らしてたんです。ある日、実家には誰もいなくて、ガラッと戸をあけると子どもが倒れているんですよ。
倉 本:おぅ、えらい状態や。どこの子や!
ヤノベ:猟奇的殺人事件か!と思ったわけですよ。一瞬にして猟奇的と。よく見たら人形だったんですけどね。
倉 本:ほう、どうしてそんなところに人形が?
ヤノベ:腹話術人形だったんですよ。
倉 本:おう、なんでそんなところに腹話術人形が?
ヤノベ:親父が部屋から出てきて「おうケンジ、わし腹話術人形買うたんや」と言い出した。びっくりしましてね。あのケチな親父が8万円した腹話術人形を買ったって・・・。
倉 本:おかしなりましたね。
ヤノベ:人形みたらくりっとした目のかわいらしい男の子の人形。これなんていう人形て聞いたら、「ケンちゃん人形」や言い出して。もう俺、ショックで…。
倉 本:ケンジのケンちゃんか。
ヤノベ:いや、わからへんけど、僕は心の中でそれだけはやめてほしかったと。じゃあ、まあやってみいな8万円もかけて買うてんからと。
倉 本:うんうん。
ヤノベ:普通、子どもの声との差をつけるために高い声出すじゃないですか?(高い声で)「僕、ケンちゃん」って。でも親父はいくら言ってもただのだみ声なんですよ、いくら言っても。
倉 本:親父が親父としゃべってんねんや。
ヤノベ:僕はそれはケンちゃんの声じゃないと言って、そしたらお母さんが出てきて「それはケンちゃんの声じゃないわよ」と。お母さんも僕もだめやだめやと言って。親父はもうショックでね。
倉 本:そらそうやろ。
ヤノベ:親父は「もう明日人形売りに行く!」ってなって。
倉 本:売りに行くてぇ、捨てに行けや…。
ヤノベ:まぁ親父の心は傷つけてしまったけど、人には向き不向きがあるなあと。
倉 本:何の小話や! ほんで?
ヤノベ:一週間後くらいに、僕の小さい息子を連れて遊びに行ったわけです。ガラッとドア開けたら、今度は人形はなかったんですが青いトランクが置いてあった。
倉 本:これはまた意味深やねー。
ヤノベ:「なんやー」と思ったんですよ。そしたら奥から親父が出てきて、「おうケンジ、実は新しい腹話術、来たんや」と。
倉 本:新しい腹話術がきた? えらい大きなもんが来たね!
ヤノベ:僕は息子に、「おじいちゃんが見せるからそこに待ってなさい」と。で、息子は目をキラキラさせて、「おじいちゃん何やってくれるんかな」って。おじいちゃん何やってくれるんやろって。そしたら、青いトランクを持って親父がぐるぐる回りだして、コンコンコンってやって「トらやん」って言うんですよ。
みんな:おっ。
ヤノベ:あれ、ケンちゃんじゃなくなった、よかったって僕は思ったんですよ。
倉 本:カバンの中にはトらやんがぁ!
ヤノベ:「トらやん、トらやん」って打ち出すんですよ。子どもはドキドキして、目をキラキラさせて、2歳半ですからね。ほんで、かちゃっと開けて「トらやんはよ出てきいや、はよ出してくれや」と。ほんで、カバンの中をがちゃっとあけて、親父は孫の目線を気にしながら、いくぞってぐわっと出したら、ひどいもんでケンちゃん人形がかつらはがされて、バーコードかつらかぶせられて、鼻の下にちょびひげつけられて、服は阪神タイガースで。阪神のはちまきしてて。ぐわーと出したら、めちゃめちゃ気持ち悪いんですよ。息子はうわっと火がついたように泣き出す。そしたら親父も子供が泣いたら泣いたで隠したらいいものを「トらやん、トラックに入っていくで」とまだ言うてるんですよ。で、やめたらいいのに子どもは泣いて、子どもはほんとにトラウマですよ。
倉 本:まさに「トらやんのトラウマ」やね(笑)。
ヤノベ:僕も今気づきましたよ、それ(笑)。声を聞いたら、バーコード頭にちょび髭で、だみ声が意外と「トらやん」にぴったりだったんですよ。
倉 本:ホンマや、よう見たら、中にそんなおっさん入ってたわ。
ヤノベ:実際の「トらやん」は身長100cmくらいのサイズなんですけど、この卓上にあるのはその何分の1かのサイズですね。
倉 本:もともと「ケンちゃん」ですか?
ヤノベ:もともと「ケンちゃん」ですよ。
倉 本:「ケンちゃん」売りに行ったけど、売れへんかったんや。
ヤノベ:そうなんですよ。それで、かつらぺっとひっぺがして。
倉 本:お父さんのDNAをしっかり受けついだんですね。
ヤノベ:それで、もうちょっといいですか。で、国立国際美術館での個展ね。万博のね。そこで個展をやる、全てをさらけ出すと言う感じで、もう一生懸命だったわけです。で、実家の近くなんですが、ある日親父が来て、何を言い出すかと思ったら「おうケンジ、国際美術館で展覧会するらしいな。俺にもなんかやらせてくれ」。
倉 本:えっ?
ヤノベ:親父はずっとサラリーマンやってたはずやのに。なぜ今、そんなん言いだすんやと。
倉 本:息子が売れたと思ったらね。
ヤノベ:「親父、何ができるんや?」と聞いたら、「わしは腹話術ができる」と。
<会場大爆笑>
倉 本:でけへんはずやのにね。
ヤノベ:もうその頃はボランティア活動で老人ホームとか、保育園でシモネタやってヒンシュク買ってたりとかね。
倉 本:世の中にたくさんのトラウマを生んでね。
ヤノベ:で、まぁ腹話術やったらいいかなと思ってね。『メガロマニア』の国立国際美術館でのオープニングイベントでね。チラシにはマーチングバンドのあとに、腹話術って書いたら「ヤノベさん、これ「いっこく堂」でも呼ぶんですか」って(笑)。で、一週間くらいかけて設営が始まりますわな。その忙しいところへ親父が、家が近所やからって自転車で来た。「わしはヤノベケンジの関係者や」って感じで入ってきて、僕が一生懸命説明しているときに、「おうケンジ、がんばっとるな。どんなんなんや展覧会って。美術館すごいなぁ」と楽しそうに友達と一緒にまわっとるんですよ。「ヤノベマサノブ」って書いた自転車で。それである日、親父が神妙な顔つきで「ケンジ、あのトらやんのことやねんけどな。ここ美術館やんなぁ、やっぱり阪神タイガースの服はまずいんちゃうんか」とか悩みだして。「いや親父、それはオープニングの話やから一時のことやから、別にエエねん、もう忙しいから…」って。
倉 本:知らんがな。タイガースの服着せたんお前やし、脱がせばええしってな。
ヤノベ:あともう1つ、ちょっと前に「フリ」として言い忘れたことがあってね。「アトムスーツ」といって「放射線防護服」。僕は最後の聖戦のように美術館の展覧会でみんなに託すものとして、ちょうど僕の息子が3歳だったし、チェルノブイリで出会った子どもも3歳。その2人の子どものためにアトムスーツをね。ミニ・アトムスーツという小さい版を作っていたんです。それを前フリとして言うの忘れてた。で、僕が作業していると親父が「ケンジあのな、阪神タイガースの服やねんけど、どうしよう」と。で「もう親父いいから、僕が忙しいのわかってるやろ!」と。で、そのうるさい親父がある日静かになったんです。ほんなら案の定、みなさんのご想像通り、ミニ・アトムスーツが1体なくなってたんです。(会場爆笑)。
倉 本:黄色の!。
ヤノベ:スタッフに「アトムスーツ無いやん!あの黄色いやつどこいったんや。美術品の盗難や!」と怒った。ほんで実家に行ったら、親父が「トらやん」に「アトムスーツ」着せてて…。親父に「何でここにあんねんや!」って聞いたら、「いや、あのスタッフの吉田っていうやつがいいって言うたんや」とうそついてね。でもね、不思議とトらやんのサイズがちょうど3号の服のサイズで、ぴったり。運命的だったんですよ(笑)。で、初日があいて、オープニングでかなりヒンシュクを買ったものの、この話は長いので…。
木ノ下:いや、もう充分長いですから。倉本さんの自己紹介がまだ…。
ヤノベ:あと2分だけ(笑)。僕のイマジネーションの背景の中にずっとひっかかっていたのがアトムスーツを着ていた「トらやん」だった。その半年後、話しだすときりがないけど、ちょうど森美術館で展覧会していた時、もう僕にはなにもないけど「トらやん」があるなと考えた。「森美術館」かぁ、じゃぁシャレで「森の映画館」でも作ってみようじゃないかと。作った作品に「トらやん」が登場して。これがまたいい作品なんですよ(笑)。これ話すと長くなるけどアトムスーツを脱ぎ捨てた僕は、自分の作品展の中に「トらやん」を入れて、田中杏子さんも「トらやん」見たよっていってくれるくらいに全世界に「なにわのトらやん」が発信された。興奮していうとすごいですよね。
倉 本:いやそれはすごいですよ。親父の天然が作品なわけじゃないですか。
ヤノベ:僕にとっては未来の背景の第一に「トらやん」が、ある種「ものづくりの神様」として降臨してきたような…。
倉 本:親父と言う「イタコ」を通じてね。
ヤノベ:そうなんですよ。腹話術ってそうでしょ! 自分の中のものを人形にしゃべらせると。よくわかってるじゃないですか!
倉 本:わかってますよ! でないと(発言するために)自分のマイク持ちませんよ!
ヤノベ:それでまたトらやんが六本木に戻ってきたりするんですよ。大きさが変わったりして。ちなみに、これ「ミニトらやん」ですけど。
倉 本:「ミニミニ・トらやん」。
ヤノベ:そうなんですけど。また「ジャイアントトらやん」っていうのもあるんです。それは3月28日にね。自分が生まれた森美術館の、森タワーのもとで。踊るわ、歌うわ、火ぃ噴くわ。その予告編見てみましょうか?
<予告編が流れる。ナレーション>
http://www.roppongiartnight.com/interview/index.html
東京六本木、巨大ロボットが大暴れする。踊る、歌う、ジャイアントトらやん。・・・。
ヤノベ:えらいことになります。車は爆破されるし、六本木が火の海に。
倉 本:「トらやん」は「ト」だけがカタカナなんや。
ヤノベ:そうなんですよ。で、「トらやん」はいろんなところに行って、実はこの夏に大阪にも戻ってくるんです。会場のポスターにもありますように「水都大阪2009」。知事と市長が水の中からぬっと出てくるあのポスターの第3弾は「トらやん」もがばって出てくるのを作ったらと思ってますけど。大阪でも大暴れですよ。
倉 本:親父がこれ着て出てきたらええやん。
ヤノベ:でも親父はNGなんです。親父、今日ここにいることとか「ジャイアントトらやん」とかぜんぜん知らないんですよ。
倉 本:親父はパクられたと思うからか。
ヤノベ:そうですよ、訴訟問題ですよ。親子の間でね、法廷問題に発展したら準備しとかなね。
倉 本:それは面白いですねぇ。








ヤノベ・ケンジ
倉本美津留





